代表梅村の原点とニワ暮ラフトができるまでのヒストリー
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私は父が開業した造園業を営む家庭に生まれました。私は梅村家の7代目で、代々百姓だったこともあり家の周りは農機具等を収めた小屋がいくつかあり、田畑や木々に囲まれていました。また、犬山は桃の産地ということもあり、両親は造園業を営みながら桃の生産と出荷もしていました。さらに近くの山には自家用のミカン畑があり、水田ではコメ作りもしていました。
「紺屋の白袴」という言葉のとおり、なかなか自宅の庭を手掛ける余裕はなく、当時流行っていた和風庭園のような手の込んだ庭はありませんでした。しかし私が小学生になった頃、兄弟や友達と遊べる秘密基地のような庭を作ってくれました。
生垣の中に大きなコンクリートのヒューム管を置いてトンネルにしたり、大きな杉とキンモクセイの木の間に15mくらいのワイヤーを張ってロープウェイを作ってくれました。他にも野球やサッカーの壁当てのできるブロック壁とバックネットを作ってくれたり、大きなミニ四駆の屋外コースを作ってくれたり。こんな手作りの公園のような庭には、学校帰りにたくさんの友達が遊びにきていました。今思えば子供達のためにいろいろ作ってくれたんだと心から感謝しています。
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環境問題が話題となり、自然農法、土づくり、人と自然の関係を考え始めた高校時代。有機栽培信仰のようなものに感化されていた頃、通っていた岐阜大学農学部の教授から突き付けられた「完全有機栽培のトマトと、化学肥料を併用して糖度を上げたトマト、どちらが美味しい?」というテーマについて考える日々がありました。
美味しいってなんだ?商品の価値ってなんだ?
味覚なのか、安心感なのか、出来上がるまでのストーリーなのか。それ以来、農薬や化学肥料の専門書も読んで、客観的な根拠を元に考えたり、合理的な考え方や、自然と人工物のバランスを考えるようになりました。また、バイト代を何十万もつぎ込んで自宅の水田で合鴨農法に挑戦したり、やっぱり農業は大変だなと、父の造園の仕事を手伝ったりと、揺れ動きながら不器用な大学時代を過ごしました。
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25歳から宮城県で剪定や伝統的な造園工事の修行を積み、1年間バンクーバーで芝生の管理やガーデナーの経験を積んだ後、30歳で地元に戻りました。しかし、なかなか仕事も少なく、父にも技術的にも全くかなわず、「何を勉強してきたんだ!」と怒られる始末。 「お前はどんな庭がつくりたいんだ?」と聞かれ、自分がどんな庭をつくりたいのか考えても、出てきませんでした。
その後、三河の一流の庭師さんの応援等をしながら現代の住宅事情に合わせた植栽や石工事等の技術を磨きました。石工事など技術を磨いた30代でしたが、転機は、37歳で実家の隣に自宅が完成し、自分と家族のための庭づくりを始めたときでした。
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実家の隣に自宅が完成し、自分と家族のための庭づくりを始めたときでした。私自身は石積み等の技術に自信を持っており、和の落ち着いた雰囲気が好きでした。一方で、妻はシンプルでナチュラルな雰囲気が好きで、自宅の庭に対しては「和」になりすぎるコト、「石」が多くなりすぎるコト、「技術」を見せすぎるコトが嫌なようでした。
一流の職人になりたい、同業者に認めれたい一心で仕事に打ち込んできた私は、技術を見せたいばかりで庭づくりの本来の目的である、四季を感じたり、自然のやさしさ、光や風の心地よさなど、妻や子供たちと「心地よく暮らすこと」や「楽しく暮らすこと」が見えていませんでした。
そして4年の歳月をかけて自宅の庭を作り、自分がつくりたい庭とは家族のための「暮らしの庭」だということに気づきました。
個人事業で続けてきた造園業「梅村庭苑」を、
10年目40歳を機に法人化、社名変更し、2021年7月に
「株式会社ニワ暮ラフト」を設立しました。
私たちのつくりたいモノ、庭をつくる先にあるコト、
作り手としてのこだわり、暮らす家族の目線で考えるコト、
そうした思いを社名に込めました。
新しい価値観の『ニワ』×真ん中に大切な『暮らし』×職人技術『クラフト』
ニワ
ヒト
基本情報
会社名 | 株式会社 ニワ暮ラフト |
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所在地 | 〒484-0817 愛知県犬山市字郷西23番地2 |
連絡先 | TEL 0568-68-6630 |
代表取締役 | 梅村 龍太郎 |
設立 | 2021年7月 |
事業内容 | 庭と外構の新規工事および改修工事の設計施工 |
「梅村庭苑」を設立
法人化および社名変更 「株式会社ニワ暮ラフト」設立
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